今年2024年12月、はじめて式根島を訪れました。唐人津城や御釜湾遊歩道などを歩いて大いに感動して帰ってきたのですが、帰宅後に映画「男はつらいよ 柴又より愛をこめて」(1985年公開)の大部分が式根島を舞台としていたことを知り、早速観てみました。すると私が現地で目にした式根島の名所が現在とほとんど変わらない様子で映っていて、とても嬉しくなりました。
この記事ではその寅さん映画に登場した式根島の名所を振り返ってみたいと思います。
野伏港
まず野伏港。寅さんが式根島出身の若者たちと一緒に、伊豆の下田からの船に乗って上陸したのがこの港でした。下の写真でちょうど連絡船にしきが停泊しているあたりに寅さんの船が着いたように記憶しています。
湾内には現在ほど堅牢な消波堤はなかったようですが、映画の中の野伏港は現在と大きく違っていないように見えました。下の写真だと少しわかりにくいのですが、中央奥に坂道があります。栗原小巻演じる島のマドンナ・真知子先生が自転車を押しながら、寅さんと一緒に歩いていた坂はあそこかなと思います。
もっといい写真残ってないかな… これ、こっちのほうがわかりやすい! 真知子先生が自転車を押していたのは、このS字のカーブの真ん中あたりの坂道だったのではないでしょうか。
泊海水浴場
泊(とまり)海水浴場は、美保純演じるタコ社長の娘・あけみが島の旅館の若者に連れてこられる名所のひとつ。あんたに島のきれいな風景を見せたい、と言って、ここに連れてくるのです。二枚貝のような本当に美しい入江でした。
かつて八丈島に流される流人の船がこの海岸に寄ってゆっくりしていったエピソードも映画の中で紹介されていました。
映画の撮影から40年が経ったいまでも、何も変わっていないように思いました。
神引展望台
神引(かんびき)展望台も田中隆三演じる旅館の息子・茂が、潮風で錆だらけになったボロボロの軽バンに乗せてあけみを連れてくるところです。
ここであけみは、自分はうるさくて殺風景な印刷工場の近くで育ってきたのに、こんなにきれいな風景を見て育ってきた島の人が羨ましい、というようなことを言っていたと思います。
あけみの気持ちはよくわかります。こんなにすごい景色のすぐそばで生活できるなんて羨ましい限りです。伊豆諸島の女子高生は内地のスターバックスに行くのが憧れなのだ、と情報誌で読みましたが、スタバでフラペチーノを飲むより神引展望台でスティックコーヒーを飲むほうが1万倍素晴らしい体験だと思います。
■ 神引展望台については下の記事でも紹介しています
大浦海水浴場
大浦海水浴場も映画に登場していました。たしか寅さんが真知子先生の身の上話を聞くシーンだったと思います(先生は寂しくならないのかい、赤ちょうちんを見ると一杯引っ掛けたくなったりしないのかい、みたいなことを言っていた)。馬が海水を飲んでいるように見える岩崖が映っていました。
大浦海水浴場のこの左手側には「大浦キャンプ場」があるのですが、コロナ以後は閉鎖されたままです。式根島にはキャンプ場が2ヶ所もあるのですが(もう一つは式根港そばの「釜の下キャンプ場」)、残念ながらどちらも閉鎖中。再開されたらいちはやく利用してみたいものです。
地鉈温泉
地鉈(じなた)温泉も旅館の若者・茂があけみを連れてくる名所のひとつ。あけみが岩の影で湯に浸かっているあいだ、茂が見張りをしていたのがここです。地鉈温泉は別名「内科の湯」とも呼ばれ、神経痛や冷え性などに効能がある泉質だそうです。ただしものすごい階段を下っていく必要があります(新島のシークレットに通じる堀切の階段のような雰囲気)。
地鉈温泉は、鉈で割ったような地形からこの名があります。
式根島港
式根島港も登場します。現在は客船の発着には使われていない港ですが、寅さんの映画では島を離れる時にここで船に乗っていたように思います。うろ覚えですが、むかしのさるびあ丸。あと同窓会に集まった式根島の若者たちは「連絡船にしき」で野伏港から新島に渡り、そこから東京方面に帰っていました(ちなみに東京側では40年前の調布飛行場の様子も見られます)。
下の写真の奥に見えているのが式根島港。白い灯台のあたりに埠頭があり、この日はそこで釣りをしている人が結構いました。この式根島港のすぐそばに「松が下雅湯(まつがしたみやびゆ)」と「足付温泉」という、有名な温泉が2つあります。下は足付温泉に向かう途中から式根島港を見ているところです。
松が下雅湯はこちら。泉質は地鉈温泉と同じ(地鉈温泉から湯を引いているそうです)。
雅湯には足湯もあります。
雅湯から数分も歩かないところに足付温泉があるので、こちらも一緒に行ってみましょう。足付温泉は地鉈温泉・松が下雅湯とは泉質が違い、皮膚疾患に効能のある炭酸泉。1800年(寛政12年)にはその名が知られていました。別名「外科の湯」。
大昔は、怪我をしたアシカなどがここ足付温泉で外傷を治療していたという言い伝えがあるようです。干潮時の湯温は50℃で、潮の満ち引きで温度が変わります。
おくやま
そして「おくやま」。映画のなかでは、漢字かひらがなか忘れましたが、壁には「おみやげ おくやま」書いてあったように思います。私が通りかかった時、壁に「GIFT OKUYAMA」という文字の跡が残っていました。うおーここも通ったぞー!! と、映画を見ていて興奮しました。
寅さんの「柴又より愛をこめて」に登場する式根島の姿は、現在とほとんど違わないように見えました。自然の風景が変わっていないように見えるのは勿論、道路などの主要インフラもほとんど変わっていないのではないかと思いました。
大きく変わったのは、人の数でしょうか。映画の中の話なので当時の実情を反映しているわけではないと思いますが、1985年といえば離島ブームの頃だったと思います。ちょうどこの年に都内で大学生だったという方から、この頃は新島が最も人気のある夏休みの旅行先だったという話を聞きました。連絡船で10分で渡れる式根島も当然大人気だったことでしょう。寅さん映画で取り上げられて、翌年から数年は式根島も相当賑わったのではないでしょうか。
今年はじめて訪れてみて、私も式根島が大好きになりました。ハイキングをしない友人・知人にも旅行先として積極的におすすめしたい島だと思いました。
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