山と食

平野食堂の岩のりラーメンは優しそうなおかあさんが作ってくれる優しい味だった【三宅島名物】

三宅島(東京・伊豆諸島)に行ったらこれを食べなければならない、と見聞していた「平野食堂の岩のりラーメン」。2023年10月、はじめて三宅島ハイキングに行った時に食べてきました。下の写真が平野食堂の外観。赤い「中華そば」の暖簾が目印です。暖簾が出ていなかったらお休み。

平野食堂

場所は阿古漁港からそう遠くありません。下の地理院地図の十字マークのあたりです(三宅一周道路沿い)。不定休で、お昼の11:30〜15:00くらいまでの営業です。筆者の訪問時は、地元の年輩の方々が3人ほど談笑されており、いかにも優しそうなお母さんがおひとりで調理されていました。

メニューは野菜炒めなど5〜6種類あったのですが、迷わず岩のりラーメンを注文。すると「ふふ、あんたもやっぱり岩のりラーメンを食べにきたのかい…? 旅の人はこればかり注文するねぇ」という感じの笑みを浮かべたおかあさんが持ってくてくださったのがこちら。麺を埋めつくす勢いで岩のりがのっています。これはすごい。インスタ映えというよりツイッター映えというべきか。

岩のりラーメン

この岩のりは「のり」というより「めかぶ」を思わせる、歯ごたえのあるコリコリとした食感でした。磯の香りがします。麺はやわらかく煮込んである感じで、スープは化学調味料を使っていないと思われる、岩のりだけで出汁を取っている感じの優しい味わいです。実家のおばあちゃんが作ってくれるような家庭的なラーメンでした。

岩のりラーメン

お漬物も添えられていました。ほろ苦さのあるピリ辛の味付けで、明日葉かなと思いました。これは珍しい味で、おみやげに買って帰りたかったくらいでした。

明日葉のお漬物

お店の壁には「阿古老人クラブ」による長寿訓が貼ってあり、読み耽ってしまいました。

長寿の心得

人生は山坂多い旅の道

還暦:六十才でお迎えの来た時は只今留守と言へ
古希:七十才でお迎えの来た時はまだまだ早いと言へ
喜寿:七十七才でお迎えの来た時はせくな老楽これからよと言へ
傘寿:八十才でお迎えの来た時はなんのまだまだ早いと言へ
米寿:八十八才でお迎えの来た時はもう少しお米を食べてからと言へ
卒寿:九十才でお迎えの来た時はそう急がずともよいと言へ
白寿:九十九才でお迎えの来た時は頃を見てこちらからボツボツ行くと言へ

気はながく 心はまるく
口をつつしめば 命ながらえる

人生は六十才から、ともありました。「せくな老楽これからよ」という言い回しは、はじめて目にしました。急ぐな、老後の楽しみはこれからよ。という意味でしょうか。良い表現ですね。七十七才になった頃、私は何をやっているのだろう、とふと思いました。そんな未来には、このブログは恐らくネットからは消えているでしょう。最近の世界は、1年先のこともよくわかりません。

厨房からは、テレビかラジオの音が静かに聞こえてきます。のんびりとした秋の午後。気がつけば店内には私ひとり。

三宅島は飲食店の数が多くなかった(ように思う)ので、ハイキング中にここで一息つけてラッキーでした。昭和の雰囲気が残るテーブルで食後に地形図をのんびり眺め、また歩き出しました。

平野食堂

三宅島の「食」としては、ほかに岡太楼本舗の「牛乳せんべい」や、阿古漁港すぐ前の「ホテル海楽」で定食を食べる機会がありました。夜は大久保浜キャンプ場に幕営しました。三宅島にはまた行きたいので、雄山はあと何十年も噴火しませんように。

著者
ヤムパパー

秩父・奥武蔵・奥多摩・伊豆諸島がホームグラウンドの低山ハイカー。動植物の写真を撮りながら歩くのが好き。日帰りメイン時々テント泊。著述家・翻訳家

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