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北向地蔵の前で18世紀末の天変地異に思いを馳せる 埼玉・アイスランド・フランスがここで繋がる不思議(埼玉県毛呂山町)

奥武蔵自然歩道にある北向地蔵(きたむきじぞう)の話題です。ここを通るたびに18世紀末の北半球を襲った天変地異のことを考えさせられます。その話は後段で詳しくするとして、まずお地蔵さんを眺めてみましょう。場所は埼玉県の毛呂山(もろやま)町。鎌北湖や物見山、日和田山周辺を歩く時に、この地蔵尊を通ることがあるかもしれません。

北向地蔵(埼玉県毛呂山町)

■ 北向地蔵周辺の地理院地図(拡大・縮小できます)。標高377m。

筆者は西武池袋線・武蔵横手駅から関ノ入林道に入り、五常の滝を経てこの北向地蔵に至り、そこから日和田山や天覧山まで歩くお散歩コースがお気に入りです。なお北向地蔵の手前に走っている車道は、奥武蔵グリーンラインです。

237年前からここにある

これが北向地蔵尊。その名の通り、北向きに設置されているのでいつも暗く、3体のお地蔵さんの写真を明るく仕上げるのに苦労します(写真はすべて筆者が2022〜2023年に撮影)。

北向地蔵(埼玉県毛呂山町)

これらの地蔵は1786年(天明六年)、岩船地蔵尊(現・栃木県栃木市)から分身を譲り受け、岩船地蔵尊と向かい合うように設置されたため北向きになったそうです(しかし日本中にある北向地蔵が北向きである理由は、諸説あります。そもそも北に忌むべき邪悪があるから、等々)。

北向地蔵(埼玉県毛呂山町)

この記事を書いているいまは2023年ですから、237年も前からここにあるわけです。表情はさすがに風化していて、どんなお顔だったのかはわかりません(土台は立派で文字はちゃんと読める。石の情報保存性能はインターネットよりも高いような気がする)。

北向地蔵(埼玉県毛呂山町)

現在は縁結びの御利益がある地蔵尊とされています。友達以上・恋人未満という感じの関係の人と、ここに一緒にハイキングに来てみたら何か良いことがあったりして。しかし後述するように、この地蔵はもともと大変な理由で設置されたものです。

北向地蔵(埼玉県毛呂山町)

北向地蔵の上は小さく開けていて、ほんの少しだけ登ると丸太のベンチが豊富にあります。ここでお昼を食べたり、お茶を飲んだりししてのんびりされている方は多いですよ。是非ハイキングコースに組み入れてみて下さいね。ゆっくりしていきたい名所です。

北向地蔵(埼玉県毛呂山町)

天明の大飢饉との関係

さて、この北向地蔵はなぜここに座すことになったのか。それは「天明の大飢饉(1782〜88)」と関係があることが、現地の説明板からわかります。天明の大飢饉は日本の近世史における最大の飢饉です。飢饉の前兆(天候不良)は1770年代からあったらしいのですが、1783年に長野県の浅間山が大噴火したことで、大量の火山灰が関東にも降りました(天明大噴火)。

北向地蔵(埼玉県毛呂山町)

それが飢饉の大きい原因になったと言われています。ここは当時「入間郡権現堂村」で、権現堂村の人々は「これはやばい」ということで岩船地蔵尊から分身を譲り受けて、はやく天候が回復しますように、との願いをこめてここに設置した。それが1786年。

そこまでは現地看板から理解できます。しかしネットで調べてみると浅間山が大噴火した1783年には、日本から遠く離れたアイスランドのラキ火山・グリムスヴォトン火山も大噴火しているのです。そのせいで北半球全体が火山灰の影響を受け、気温が下がった。日本の「天明の大飢饉」は、実は浅間山の噴火が唯一の原因ではなく、世界的な天変地異の一部だったとも考えられています。

北向地蔵(埼玉県毛呂山町)

さらにヨーロッパではラキ火山・グリムスヴォトン火山の大噴火以降、日本同様に作物が育たず、農民の生活が困窮しました。そしてそれが1789年にはじまったフランス革命の遠因にもなった、と言われているのです。

この北向地蔵尊がここに祀られた頃、地球の半分が大変なことになっていたわけです。

浅間山が噴火していなかったら、日本での飢饉被害はもっと少なく済んだのかもしれません。しかし北向地蔵に立ち寄るたび、私は240年近く前の世界を想像してしまい、不思議な感慨に耽ってしまいます。埼玉県の奥武蔵にいるのに、アイスランドやフランスのことまで考えさせられてしまう。不思議な場所です。

いつかまた、同じようなことは起こるでしょう。1783年は世界の気温が1℃下がったとも言われているので、温暖化の今ならむしろありがたい… などと一瞬思ったりもしますが、日照量が減ると作物は育たなくなるので、やはり世界は壊滅的なダメージを受けるでしょう。しかし、たぶんそれより早く東京直下型地震や南海トラフ巨大地震が起こるでしょう。諸行無常です。

著者
ヤムパパー

秩父・奥武蔵・奥多摩・伊豆諸島がホームグラウンドの低山ハイカー。動植物の写真を撮りながら歩くのが好き。日帰りメイン時々テント泊。著述家・翻訳家

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