待乳山・待乳山聖天とは
東京都でいちばん標高が高い山は何ですか? と聞かれたら、「雲取山(2017m)!」とすぐに答えられる人は多いと思います。しかし「東京都の最低峰は何山ですか?」と聞かれたらちょっと悩むのではないでしょうか。
台東区浅草にある「待乳山(まつちやま)」は標高10mとも9.7mとも言われ、地理院地図には山名の記載こそないものの、東京都内で「山」と名が付く場所としては標高が最も低いと言われています。しかも人工的に造成されたのでものはなく、自然に発生した地形とされています。
ただし待乳山は私達が普通にイメージするような「山」ではなく、「待乳山聖天(まつちやましょうでん)」というお寺のある「丘」のような一帯を指します。
待乳山聖天は浅草寺の子院であり、本龍院とも呼ばれます。この丘は、伝説によれば西暦595年に出現したとされていますが、地質学的な成り立ちは縄文時代まで遡ることができるようです(武蔵野台地の一部である本郷台地の一部という説があります)。
というわけで、標高こそ低いものの天然の、立派な山なのです(待乳山聖天本堂東側の敷石近くには、三等三角点も埋められています)。
待乳山へのアクセス
待乳山・待乳山聖天は「台東区浅草7丁目4番地」にあります。隅田川に架かる言問橋(ことといばし)から至近で、浅草寺からも遠くありません。電車であれば地下鉄の浅草駅から徒歩10分ほどで着きます。
■ 待乳山周辺の地理院地図(拡大・縮小できます)。十字マークのある箇所が待乳山。9.7mの記載あり
周辺の「隅田川テラス」がのんびりウォーキングに向いているので、せっかくなら一緒に歩いてみてはどうでしょうか。
私が歩いた待乳山
ここからは2023年7月初旬、筆者が実際に待乳山を歩いた日の模様をご紹介します。この日は隅田川テラスのウォーキング途中に立ち寄ってみることにしました。まずは言問橋(写真下)を目指します。隅田川右岸から長いスロープで橋のたもとに入り、その先で橋をくぐって縦に長い隅田公園に入ります。
隅田公園を抜けて都道314号に出ると、道路の向かいにお寺らしき敷地が見えてきます。ただ、待乳山は標高10m程度なので、遠くに何か小高い丘が見えたりはしません。どこにあるんだろう、と迷うかもしれません。隅田公園内にも道案内が出ているので、参考にすると良いでしょう。
短い石段を登るとお地蔵さんが登場します。雰囲気的には天覧山手前の十六羅漢のようです(笑)。
すぐに社務所のあるレベルに出ます。左側の歓喜地蔵尊あたりはこの日、工事中でした。
提灯に魅力的な二股大根のイラストが描かれていますね。待乳山聖天では大根をお供えする習わしがあり、定期的に「大根まつり」も開催されています。大根は1本250円で寺務所で買えます。
下の写真で奥に見えているのが本堂です。超広角レンズで撮っているので広々として見えますが、実際はかなりコンパクトにまとまっているお寺です。
これが待乳山聖天の本堂。コンパクトながらかなり立派です。本尊はガネーシャと同じ起源を持つ歓喜天(かんぎてん・ナンディケーシュヴァラ)。
本堂から、来た道を振り返ったところです。ここが待乳山の「山頂」と言えます。ちなみに山頂標識などはありません!(三角点は探すと埋まっています)。階段は勾配がゆるいので「登った感」はほとんどありません。
参拝者がお供えした大根は「お下がり大根」として、本堂の脇で無料で配布されています。せっかくなのでこの日私はお賽銭を入れてから1本いただいて帰り、お味噌汁の具に使わせていただきました。
これは稲荷尊。他に狛犬が全部で4体ありました。
下は待乳山聖天の宝篋印塔です。銅造(ブロンズ製)で非常に珍しいものだそうです。1781年(天明元年)に制作されたとのこと。江戸時代から大正時代にかけて十一代にわたり鋳物師を務めた西村和泉守(にしむらいずみのかみ)の五代・西村政平(にしむらまさひら)の作と推定されています。
やや小さめで背の高い台座に置かれていて、さらに金網で保護されているのでディテールを眺めるのが難しいのが残念。貴重なものなので厳重に保護されているのは致し方ないところですね。
待乳山からの眺望と地形
さて、待乳山の「待乳(まつち)」とは、もともと「真土」から来ているという説があります。このあたり一帯はかつて泥地だったものの、ここだけは「ちゃんとした土(真土)」だったからこの名が付いた、という説があるのです。縄文時代に海水面が上昇して、後にそれが下がった。その時に現れたのがこの丘。という説があります。
地形を理解するべくお寺を降り、外の駐車場から写真を撮ってみると、こんな感じでした。かつては崖ではなく、なだらかな斜面になっていたのかもしれないですね。
ふたたび本堂のある高さから。1915年(大正5年)に描かれた版画がありました。ここから隅田川方面がこのように見えた、という絵です。
その版画を描いた織田一麿(1882-1956)が見ていたと思われる光景は、たぶんこれかなと思いました(本堂の東)。絵の中の木や石碑の位置は、現在の待乳山聖天のそれとは違っているのでそれらは移動されたのかもしれません。しかし、現在でも遠くの木の数が少なければ隅田川の水面がなんとか見えそうです。100年くらい前の雰囲気がまだ残っているように感じられます。
隣にある待乳山聖天公園を眺めている写真です。
北側の駐車場の様子です。かなり切り崩された人工的な崖、という印象を受けますが、一方でここだけ人工的に造成されたということも考えにくく、実際にそういう話もないので、やはり天然に生まれた高所ということになるのでしょう。
東京23区内の「自然に生まれた山」としては、他に上野公園の上野山や、港区の愛宕山がありますが、待乳山もそれら同様に「武蔵野台地」の一部をなしているという説があります。個人的には、たぶんそうであってもおかしくはないという気はします。もしそうだとしたら、ここは武蔵野台地の最西端ということになるのかもしれませんね。
さくらレールに乗ってみた
さて、この待乳山にはなんと「スロープカー」が存在します。その名も「さくらレール」。朝7時から夕方4時30分まで無料で乗れる乗り物です。これがその入口(本堂に向かって右側にあります)。
乗降口近くにボタンがあり、車両が下にある時は押すと下から上がってきてくれます! 本日は貸し切り。
途中に「寺務所駅」があります(駅という名前は付いていない)。奥に車両があるのがわかるでしょうか。これがレールを登ってくるのです。
ボタンを押すと… ウィーーン…!! 私だけのために車両が登ってきます!
定員は4名。乗客は車掌でもあります。感覚的にはエレベーターに近いですね。車椅子の方でもこれなら参拝できるでしょう。
おお、下っていく…!! まるで宝登山のロープウェイのようです。これを考えても待乳山はやはり山と呼ぶしかありません。
乗車時間は数十秒。距離の短さが写真から伝わるでしょうか。
この「さくらレール」の隣には「天狗坂」という階段があり、そちらから駐車場に下ることもできます。健脚の方はこちらへ。
天狗坂からふたたび本堂に登り、正面入口から帰ることにしました。下の写真は出世観音。学問・芸能・立身出世・商売繁盛の観音様とのことで、スタイルの良い優雅な観音様でした。
標高9.7m、東京都の最低峰である待乳山。そう書くと物珍しい「ネタ的な」場所に思えてしまうかもしれませんが、実際に訪れてみると、東京の奥多摩や埼玉の奥武蔵・秩父を歩くことが多い東京都民である私にとっては「東京ってどんな地形なんだろう、どのようにして現在の姿になったのだろう」という地理・地質的な好奇心をかきたててくれる低山でした。
ここから西北西にずっとずっと歩いていくと、盆地を超えてやがて少しだけ標高の高い武蔵野台地になり、その先に奥多摩の石尾根があり、東京都最高峰の雲取山に至るのです。